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【3.11から11年】臨海の桜〜11年前のベガルタ仙台と東日本大震災10年プロジェクト

2022年3月10日 |

3.11を前に、スマホやPCで一人でも多くの人にシェアしてほしい、そんな動画が存在する。その動画とは「ベガルタ仙台・公式YouTube動画〜東日本大震災10年プロジェクト/川崎フロンターレとの絆」だ。

昨年春に公開された動画の再生数は、約27,931回(2022年3月9日現在)。決して、驚異的な再生回数ではないし、サッカーやJリーグに興味が薄い人にとっては、少しだけ理解しずらい映像かもしれない。

けれど、1秒でも多く一人でも多くの人に、この動画が届いてほしい、そう願わずにはいられない。データや数字だけでは立証できない、スポーツの世界観。複雑な編集や魅せ方でもなく、出演者やキャスティング頼りの構成でもなく。何よりも、作り手の心が伝わる映像だ。

現在、Youtubeで公開されている動画「東日本大震災10年プロジェクト/川崎フロンターレとの絆」は、昨シーズンのベガルタ仙台・ホーム開幕戦(J1第2節/対川崎F)試合前にスタジアムの大型ビジョンでシェアされたもの。動画はその後も、多くのファン・サポーターの心に刻まれている。

昨年、動画ページには、こんなメッセージが綴られていた。

「震災から節目の年となる2021シーズン、当時の試合に出場していた選手、会場にいたサポーターへのインタビュー、10年前に等々力で寄り添い、勇気をくれた川崎Fへの感謝で構成しております。」

ベガルタ仙台というクラブが伝えたかったことは「寄り添い、勇気をくれた」仲間への感謝。それだけ伝われば、それでいい。この動画がスマホやPCで1秒でも多く誰かの心に届けば、それだけで、それでいいのかもしれない。

東日本大震災で甚大な被害を受けた都市のひとつ、宮城県仙台市。

被災当時、日常生活はおろかサッカーなんて到底出来ない、厳しい環境でサッカーと向き合った仙台イレブン。震災によるリーグ戦中断から約1ヶ月間、千葉県市原市の市原臨海競技場(現/ゼットエーオリプリスタジアム)などで(一部選手たちは)練習拠点を移しながら、サッカーに向き合った。

筆者は当時、市原臨海競技場で行われていた仙台のミニキャンプに足を運んでいる。日本全国が大混乱の最中、協会やクラブに取材申請など出来ぬまま、ダメ元で桜並木を足早に抜け、競技場へ向かった日を今でも鮮明に覚えている。

現地には、選手数人とコーチ、そして手倉森誠(元)監督の姿があった。

臨海競技場の周辺には、(恐らく在京であろう)ファン・サポーターが数人、テレビカメラが数台、新聞社の記者が1人だけ佇んていた記憶がある。満開の桜が咲き誇る中、晴天のピッチでサッカーに向き合う選手たち。

しかし、そこには笑顔がなかった。正確に言うなら、無表情でボールを蹴る姿が今も心に残っている。筆者は、クラブの広報担当者を探しあて、急遽取材許可を頂戴したものの、困惑していた。何故なら、いつものようにインタビューなどできる環境は皆無だったからだ。

とある新聞記者がノート片手に手倉森さんに話しかけると、ようやく静かに口を開いてくれた。

「こんな状況でサッカーをするということは、とても難しい」

画像/ゼットエーオリプリスタジアム・千葉県スポーツコンシェルジュ様よりご提供
画像/ゼットエーオリプリスタジアム・千葉県スポーツコンシェルジュ様よりご提供 

とあるテレビ局のスタッフが当時、仙台でキャプテンを務めていた関口訓充選手(現/南葛SC)に代表カメラ取材(ぶら下がりコメント収録)を交渉していた。何を喋るのか気になり遠目でそっと見ていたところ、クラブの広報担当者が声を掛けてくれる。

「(テレビカメラと)一緒に話をきいてあげてください、記事にしてもいいですから。選手も(サッカー以外のことを)喋るの大変なんで。」

広報担当者の言葉の通り、選手たちはいつもと違い下を向いていたような気がする。振り返ってみれば2011年の春は、仙台の選手たちだけでなく、各クラブのJリーガーたちも同じような顔つきだった。

関口選手は「こんな状況でサッカーするという意味」について、困惑していると話してくれた。手倉森さんが選手たちの心境を代弁してくれていたはずのに、私たちメディアは、選手たちに同じような質問を繰り返してしまっているような状態だったのだ。

Jリーグは本当に再開するのだろうか?こんな時に、スポーツなど必要なのだろうか?取材を終えて臨海の公園を出る瞬間、仙台というクラブがミニキャンプをしている意味を勝手に考え続けていた。

11年前に魅せてもらった臨海の桜は、咲き乱れるように満開で、虚しさや思い込みで半ば泣きそうになるほど綺麗だった。

そんななか、市原の人たちは、サッカーボールや練習道具を黙々と片付けている様子が記憶に残る。

画像/市原緑地運動公園・市原市役所様よりご提供
画像/市原緑地運動公園・市原市役所様よりご提供 

東日本大震災では、千葉県でも甚大な被害を被ったはずなのに。

「困った時は、お互いさま」という日本語があるように、サッカーやスポーツで地域と地域は、今も密接に繋がっていることを確信する。

誰もが手探りで迎えた、11年前の春。Jリーグ再開の日。その答えは、等々力のピッチに転がっていた。

2011年4月23日、J1リーグ第7節。必死でサッカーという競技に想いを託した「ベガルタ仙台」というクラブは、アウェー・等々力に乗り込んで、「川崎フロンターレ」と対戦する。勝ち点3を手に入れた仙台の人たちは皆、空を見上げて泣いていた。笑顔ではなく、ファン・サポーターも、クラブスタッフも、そしてスタジアムの沢山の人たちさえも、それぞれに涙を拭っている。

そんな東日本大震災から10年の月日が経ち、迎えた2021シーズン。

仙台のホーム開幕戦に乗り込んできたのは、なんと戦友・川崎フロンターレだったのだ。サッカーができる喜び、サッカーがある日常は当たり前じゃないこと、どんなクラブよりも強い絆で結ばれた、永遠のライバルとの一戦に注目が集まった。結果は、1-5。ホーム開幕戦で、勝利をもぎ取ることはできない。

この試合だけでなく仙台にとって、2021シーズンは降格という苦い結果に向き合うこととなる。昨年末、クラブを通じて公表された手倉森さんメッセージで、心を打たれたファン・サポーターも多いだろう。

「震災から10年の節目の年、昨年ベガルタ仙台が苦しい状況に置かれた中、何とか力になれればと監督を引き受けさせていただきました。クラブの立て直し、昨年からの挽回とJ1残留を果たすべく力を注いできましたが、力およばずJ2に降格させてしまい、大きな悔しさと責任を感じています。大変申し訳ありません。佐々木社長と共に、クラブ再建を誓い監督を務めてきましたが、J1残留を逃す事となり辞意を固めました。」

東日本大震災から11年目の春、今年も3.11がやってくる。2012年から毎年、東北の地で開催される特別なダービーが今年も開催予定だ。

3月12日(土曜)13時キックオフ、明治安田生命J2リーグ第4節。「ベガルタ仙台」は、ホーム・ユアスタで「いわてグルージャ盛岡」を迎え撃つ。

岩手は、震災から節目となる10年目のシーズンで、クラブ史上初のJ2昇格を成し遂げたクラブ。岩手県全33市町村をホームタウンとするプロサッカークラブとして、県民と一緒に、夢と感動と興奮を分かち合ってきた。

3.11が過ぎても、そして東日本大震災から11年目の春も、どんなときも東北ダービーだけは見逃せない。そして、当たり前のようにサッカーがある毎日に感謝せずにはいられない。

Text / GayaR Magazine STAFF

画像/市原緑地運動公園・市原市役所様よりご提供

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